伊野尾慧はよく泣く。
志村どうぶつ園で、ハンディキャップを持った動物を見て泣く。その動物と真摯に向き合った仲間を見て泣く。らじらーで、災害に遭った人を想って泣く。被災してHey!Say!JUMPの歌に励まされた人がいると聞いて泣く。
…その涙を見て、私も優しくありたいと思う。
そんな伊野尾くんが、『めざましテレビ』の取材で宮城へいった。“あの日”に生まれた子ども達に会うために…。
冒頭で、震災翌年から大学の研究室に入り、「何度も現地に足を運んだ」と話す伊野尾くん。卒論のテーマは「東日本大震災における小中学校の避難計画のあり方」だったという。6年前の震災では避難が成功して小中学校子どもの生存率99.8%という釜石市の例もあれば、逆にたくさんの子どもが亡くなったという例もあった。避難計画のあり方で生死を分ける…そんな研究をしていたんだね。
伊野尾くんが研究室に入った2012年。そのころのJUMPといえば…2月に9枚目のシングル『SUPER DELICATE』をリリースしたり、海外公演をしたり、Hey!Say!JUMPが座長の『JOHNNYS’World』が始まったり…。順調に仕事が増えてグループが成長し始めていた。そんな中、伊野尾くんは被災地を巡って街が復興する姿を見ていたんだ。忙しかったんだろうなぁ。毎日をどんな気持ちで過ごしていたんだろう?
番組では、伊野尾くんが2011.3.11に生まれた3人の子どもに会いに行き、地震の中で出産したお母さんの話に耳を傾ける。最初は緊張気味な子ども達とも最後には打ち解けて、可愛い笑顔を引き出していた。
2011.3.11。我が家の子ども達は小学生だった。震源から遠い関東ではあるが、私自身も生まれて初めての大きな揺れに恐怖を感じて、学校へ迎えに行ったのを覚えている。子ども達が先生に付き添われて集団で下校してくる姿を見て心底ホッとした。
この日に出産したお母さん達はどんなに不安だったろう。分娩直後に分娩室が濁流に流されたと話す方もいた。お母さんはもちろんだが、病院のスタッフのみなさんも命をかけて出産に立ち会っていたんだと思うと、言葉が出ない。
3.11に同時におじいさんを亡くしたというお母さんが
「3.11は娘の誕生日であると同時に沢山の方が亡くなった日。娘の誕生日を祝っていいものか葛藤があった」
と話しておられた。気持ちがよくわかる。
伊野尾くんは最後に
「子ども達に震災を伝えることももちろん大事だと思うが、震災の爪痕を感じさせない街並みを見せて、元気に育って欲しいと思った」
と語った。建築を勉強した彼らしい。
今日の『いの調』は、たった数分間のコーナだったけれど、朝から涙が止まらなかった。伊野尾くんのナレーションが優しくて。話を聞く姿が真摯で。なかなか笑顔を見せてくれない子どもを、無理に笑わせようとしないところも、時々涙で声が震えてしまうところも…すべてが伊野尾くんらしかった。本気の伊野尾慧の素晴しさを見せてもらったよ。
最近、「原発避難先でいじめ」というニュースを聞く。今朝の『めざまし』でもいじめに遭っている中学生の手記が報じられていた。本当に情け無い。今日の『いの調』がたくさんの人の目に触れて、「原発いじめ」なんて最低なことだと多くの子どもが理解してくれたらいい。
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