Hey!Say!JUMPの歴史をたどる旅・・・いよいよ岡本圭人の登場です!
イギリスから来たいがぐりボーイ!岡本圭人の物語
さて、2007年の夏が過ぎ…まもなくHey!Say!JUMPがデビューするはずなのだが……。あれれ?ひとり足りない?
『イギリスから来たイガグリボーイ』←by伊野尾慧
そう、岡本圭人である。
前回のお話
お互いに切磋琢磨してデビューを目指すジュニア時代のHey!Say!JUMP。2007年にはJ.J.Expressから選抜されたHey!Say!7がデビューした。選考から漏れた伊野尾慧は悔しくて、ジャニーさんのところへ直談判へ行ったとか…。今日もそれぞれの想いを胸に歌い踊る。
前回の話↓↓↓
その7 J.J.Expressの変遷。ここは、まるで道場だ!
岡本圭人の入所
2006年8月14日入所。当時13歳。
小5からイギリスに単身留学していた彼は夏休みに帰国した時に、父親の岡本健一と滝沢演舞城を観た。そしてジャニーズの格好良さに感激!それがきっかけで入所した。
え…?
オーディションなし?すぐに入所したの?またイギリスに帰ってジュニア経験なしでデビュー?
ん…?
お父さんの岡本健一は芸能人の息子として甘やかされることのないようにと、11歳の圭人を単身で留学させたというけれど…この最短デビューってどうよ⁈
ここまでジュニアたちの壮絶な日々を追ってきたひるねこ…ジュニア経験無しって…ちょっと引っかかるわ〜。
圭人の生い立ち
そもそも、圭人の育ちは一風変わっている。
小4までは日本の普通の学校に通っていたが、小5からイギリスに単身で留学する。いくらなんでも英語が全く話せない11歳の子どもをひとりで留学させる?
さらに、イギリスへ行ったはずなのに、受け入れ先の家庭はロシア人だったという不思議…。毎朝ソーセージを出されていたそうだ。←ホント?
最初は全く会話をしなかった圭人だが、生きるために必死で言葉を覚えるようになる。ソーセージだけじゃ育たないからね。
そんなわけで健気にも、圭人は英語より先にロシア語を覚えたとか…。留学中は学校のカリキュラムで軍隊も経験したそうで…なんかすごいなぁ。
帰国した圭人は身も心もイギリス紳士になり…はじめてJUMPのメンバーに出会った頃は、英語は流暢だが日本語はたどたどしかったそうだ。
健一さんの育て方って…
あぁ、前言撤回だ。岡本健一さんはすごい。多分圭人をイギリスに送り込んで、言葉は悪いが…放置したんだろう。
息子が一言も話さなくても、毎朝ソーセージしかもらえなかったとしても、助けなかった。助けたいのを我慢していたんだ。そうでなきゃ、物心ついてからの留学でそこまでイギリス人にならないでしょ。
育児放棄?…ではない。圭人がすごく優しい子に育っている事実や、パパとのツーショットで生き生きと嬉しそうにしているのを見ると、愛されて育ったのがわかる。
岡本パパはジャニーズに入りたいという圭人を、きっと、ただ事務所に預けたんだな。岡本パパがJUMPで活動する圭人に干渉している様子は見られないもん。
Jr.経験ゼロの息子をすぐにデビューさせるなんて、しかもそのまま口を出さずに放置だなんて普通はありえない。
でも、イギリスに息子を単身留学させていた岡本パパならあり得る。そういう子育てなんだ。真似できないけどね笑。
圭人は苦労人
一見、親の七光りで最速デビューを果たしたように見えるけれど、実は圭人はすごく苦労したと思う。
JUMPの他のメンバーは、幼いときからデビューを目指し、ライバルではあるがお互いに切磋琢磨してきた兄弟のような仲間だ。お互いが辛かった事や嬉しかった事もよく知っている。
でも圭人には一人の友だちもいない。踊れないし、歌えない。見た目も垢抜けていなかった←今はホントにステキになった!
言葉も時々わからない。他のジュニアにしてみたら『誰、こいつ?』である。
本人の希望だったとはいえ、圭人にとって虎の穴みたいなところに放置されたわけだ。岡本パパは、圭人に一番辛い困難な道を敢えて歩かせた。
まるでライオンが子どもを鍛えようと崖から落とすっていうやつ…可愛い子には旅をさせろってやつだ。
こうして岡本圭人はHey!Say!JUMPというグループに投げ込まれたわけである。
現在の圭人
それからまもなく10年だ。
圭人はよく頑張った!Hey!Say!JUMPになくてはならない、むしろ絶対に必要な子になった。
JUMPの仲間たちもよくやった。特にやぶひか!圭人をよく育ててくれました。
2016〜2017年のカウコンで岡本パパが圭人のそばで嬉しそうにしているのを見て、JUMPのみんなも嬉しかったよね〜!
次回予告!
さてさて…最後のひとりも無事に入所した。
話を戻そう。
2007年11月14日。いよいよHey!Say!JUMPのデビューである!
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